腹黒
腹黒
人当たりはいいのに、腹ではえげつないことを考えていることを指しているらしい。
フィクションの場合は、客観的に見ている我々はパッと見でも簡単に腹黒を見分けることができるが、現実世界ではどうだろうか。
人当たりがいい人はもちろんいる。そりゃあたくさん。思いのほか多く。
しかし、そこから腹黒かどうか見分けるのは時間と手間を要する。
自分の最表面を偽るのは、結構多くの人がやっていると思う。
仕事だったり、対人関係だったり、そうせざる追えない状況だったり、日本人だと特にそういう人は多いように感じる。
そういう人と腹黒と呼ばれる人の違いは、自覚の有無と隠蔽に対しての意識だと思っている。
自分が周囲に比べてえげつない性格をしていると自覚していなければ、隠すという発想に至らないし、自分がえげつない性格を隠すかどうかはまた別の問題になってくる。
私自身、内心思っていることを全然周囲には言わないように立ち振る舞っているため、そういう意味では腹黒なのかもしれない。
例えそれが正論であっても、人としてそうすることが当たり前だとしても、周囲から奇異な目で見られることに耐えられない。
耐えられる無敵な人もいるにはいるが、今までの人生でほとんど見たことがないので、やはり希少な人種に感じる。
誰しも自分の本性、本質を否定されることに耐えられるわけではない。
そう考えていくと、腹黒の度合いに違いがあったとしても、そういう見られたくない部分を隠して生きているという意味では、多くの人が該当するのではないだろうか。
できるならば、そういう汚くて見られたくない部分まで許容し、認めてくれる人とは長く付き合っていきたいものである。
今回の締め
人類みな腹黒の可能性。
腹を割って話せる友人を無限に募集しております。