哲学
哲学
哲学という単語を初めて聞いたとき、なぜか堅苦しい印象を受けた。
学問的な響きがそう思わせたのかもしれない。
その後、実際に哲学を履修することでその印象は消え去るわけだが。
しかも悪い印象が消えるどころか、教養の中では結構好きな科目となった。
学問的な哲学についての思い出はこのくらいしかないが、人生観的な哲学については今でも引きずっている。
特に考えを持たずに目の前のことをただただこなしていくだけの毎日を送っていた時は、とても楽だった。
だが、そういう毎日はそう続かないわけで、気付いてしまうときがある。
自分の内面のことであったり、他人の感情だったり、家計のことだったり、世界のことだったり、世界情勢だったり、いろいろなときで気付いてしまう。
その中でも、一番心の根底に深く突き刺さったのは、とある小説を読んでいた時だった。
私は、今まで主観でしか物事を見ることができなかった。
例えば、宿題は当然するべき、部活動は当然頑張るべき、規則は当然守るべき、といった感じの考え方だった。
良い言い方をすると優等生的な考え方、悪い言い方をすると頭が固い考え方をしていた。
だが、その考え方は跡形もなく消えてしまう。
その小説に出てくる言い回しがとても多面的に物事を捉えていて、当時の頭でっかちだった私は文字通り頭をぶん殴られた気分になった。
何事にも裏があり、表ばかりではないし、今見ている表は裏かもしれない。
そういう意識を持つことの大切さを教えてくれるいい小説だった。
感覚的に哲学を理解するのには、結構お手軽な方法だったかもしれない。
そのせいで思い悩むのだが、それはまた別の話。
兎にも角にも、考えの幅を広げてくれたその小説には感謝しかない。
今回の締め
考え方の取捨選択。