忍耐力
忍耐力
耐え忍ぶことが美徳とされ、忍耐力を試される場面が多いと感じる人生を送ってきた。
だが、忍耐力は必要なのだろうか。
私は、幼少期から教育熱心な母の下、様々なことで忍耐力が鍛えられてきた。
勉強、運動、習い事が主であるが、いずれもそれなりに真面目に行ってきた。
正直な所、それ以外の娯楽をあまりしてこなかっただけなのだが、今の自分があるのは母のおかげと断言できる。感謝しかない。
その後、私がある程度、精神的に自立できるようになると、母からの干渉はどんどん減っていった。
それに伴い、娯楽を楽しむ時間が増え、忍耐力をもってきつく自分自身を鍛える時間はあからさまに減っていった。
それでもやることに追われ、息抜き程度にしか娯楽をしていなかった頃は、まだよかった。
ここ最近では、あまり忙しくなく、娯楽を自由にできる時間を確保できるようになり、物足りなさを感じるようになっている。
最初は、遊び慣れていないだけだと自分に言い聞かせていたが、実際のところは達成感が足りていないだけだと気づいた。
意識の問題かもしれないが、何不自由なく得られるモノに感情が揺れ動かされることは少ないと思う。
こうなると難しい。
どちらかというと強いられてきた忍耐だったこともあり、自分自身で何かに打ち込むという方法も経験も足りていない。
打開策は、今のところ自分が忙しくなるように行動する、ということしかやっていない。
それ以外思い浮かばなかった。
ただ言えることは、忍耐の先に何かしら得難いご褒美があるのではないか、ということだ。
もちろんご褒美が得られなさそうな場合は、忍耐なんかせずに逃げの一手であってもいいと思う。ここだけは補足しておきたい。
結局、忍耐というもの私にとって何不自由なく得られるモノとして扱われていたのかもしれない。
これからの私の人生に新しい達成感を与えるためには、自分自身で獲得する忍耐力も必要なのかもしれない。
今回の締め
自分自身のための忍耐は必要。
他人から強要される忍耐は不必要。
その見極めが必要。