誤解
誤解
誤解が生まれるのはしょうがないことなのだろうか。
日常生活において、誤解が生まれたことがないという人はいないだろう。
私自身、かなり誤解を生む上に誤解をしやすい性質なので、問題とまではいかないが少なからずすれ違いを経験してきた。
あまりにも相手の意図と自分が解釈した相手の意図にズレがありすぎたため、あるときから自分ルールというモノを簡単にだが設定した。
その自分ルールというのは、自分が話し手の場合、
- 人に自分の意図を説明する時は、できるだけわかりやすい言葉で説明すること
- 自分の中の前提条件をできるだけ正確に全て伝えること
- わかっていなさそうな雰囲気を感じたら、補足説明をするかこちらから質問をすること
などがある。
自分が聞き手になった場合は、この逆のことを意識して相手の話を聞くようにしている。
どれも誤解を生みにくい人からしたら当たり前のことに感じるかもしれないが、以前の私は全くできていなかった。気を付けている今でも誤解はあるが。
しかし、気を付けるようになってからは、自分自身の誤解が解けずに会話が終了するということはほとんどなくなった。
自分ルールを設定してからは、むしろ誤解を解く努力をしない人に疑問を感じてきた。
なぜ、自分自身の誤解を解こうとしないのか、誤解があるままで関係を続けていこうと思うのか。実際、誤解を意識していない人もいると思うが、人間関係においてあまりにも損をしていると思う。
誤解を生むかもしれないが、誤解を解く努力をしないということは、嘘を吐いているのと大差がないとすら感じる。
私は、嘘は吐きたくも吐かれたくもないので、誤解を生まない行動していきたいものである。
今回の締め
誤解で終わる関係もあるので、気を付けていきたい。